2008年04月30日
零式艦上戦闘機
通称ゼロ戦です!
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は大日本帝国海軍(以下、海軍と表記する)の主力艦上戦闘機。「零戦(ぜろせん、れいせん。「ゼロ戦」とも)」の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。海軍の艦上戦闘機(以下、艦戦と表記する)としては実質的な最終型式で、日中戦争の半ばから太平洋戦争の終結まで各地で活躍したことで知られる。大戦初期に連合国の戦闘機を駆逐したことから、主交戦国のアメリカ軍から「ゼロファイター」の名で恐れられた。設計は三菱だが、三菱と中島飛行機で生産され、総生産数の半数以上が中島製であった。
名称について
遊就館に展示されている零式艦上戦闘機五二型(A6M5)当時の軍用機は採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていた。零戦が制式採用された昭和15年(1940年)は皇紀2600年にあたり、下2桁が「00」になったため「零式」という名称になった。なお大日本帝国陸軍(以下、陸軍)では同じ年に採用した兵器を一〇〇式と命名している(例:一〇〇式司令部偵察機、一〇〇式重爆撃機)。海軍は昭和17年(1942年)に零戦の水上機型である二式水上戦闘機などを最後に年次名称を廃止したため、大戦後期に主力となった局地戦闘機「紫電改」や「雷電」などには年次名称は無い。
「『零戦』を『ぜろせん』と読むのは誤り」と言う者もあるが、戦時中の新聞報道に「兵士たちにはゼロセンと呼ばれており……」という記述があることからも、「ぜろせん」「れいせん」の両方が使われていたと考えられる。渡辺洋二の著書や坂井三郎を始めとする関係者の話からも、「ぜろせん」という言葉は当時から一般的であり、中央から現場(実戦部隊)にいくにつれて「れいせん」より「ぜろせん」、時代が後になるにつれて「れいせん」より「ぜろせん」と呼ばれる傾向が読み取れる。昭和17年(1942年)後半以降は部隊では「ぜろせん」であったらしく、昭和19年(1944年)11月23日付の朝日新聞で初めて零戦の存在が公開された際も「荒鷲等からは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ」とルビ付きで紹介されている。反対に一見それらしく思われる「ゼロファイター」の和訳が戦後一般化したという説には根拠が存在しない。
連合軍が零戦に付けたコードネームは「Zeke」(ジーク)。だが米軍側の将兵も「Zero」(ゼロ)と呼ぶ事が多く、「Zeke」のコードネーム自体が「Zero」の綴りに近いから選ばれたという説もある。ただし三二型は出現当初、それまでの二一型とは異なり翼端が角張っていたためか別機種と判断され、「Hamp」(当初はHap)というコードネームがつけられた。
(以上、ウィキペディアより引用)
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